世界で最も売れているタロットカード「ウェイト版タロット」の絵を担当した偉大な画家、パメラ・コールマン・スミス氏の生涯・功績についてまとめています。
パメラコールマンスミス氏のプロフィール

パメラはアメリカ人の商人、チャールズ・エドワード・スミスと妻、コーニー・コールマンの元に生まれます。チャールズは24歳、コーニーは34歳と、その時代では珍しく10歳も年が離れていました。
父親のチャールズが絵画に関心が強く芸術家肌だったため、パメラも絵画に興味を持ったといわれています。
パメラは社交的で友達にも恵まれていました。また、いたずら好きの性格から友達からは「ピクシー(いたずら好きの妖精のこと)」と呼ばれて親しまれていたようです。
パメラの父親はブルックリンのプラットインスティチュートに彼女を入学させます。芸術学校で絵画を学び続けたパメラですが、1896年、母親のコリンが亡くなります。
体調を崩しがちになったパメラは学校を卒業しないままイラストレーターの道を歩みます。
父親の死後、イギリスに戻ったパメラは劇場デザイナー、イラストレーター、絵本の挿絵など幅広く活躍します。
また、個展も開き画家として成功をおさめます。
黄金の夜明け団とウェイトとの出会い
1901年、黄金の夜明け団のメンバーの一人イェイツに誘われメンバーになります。
しかし、元々カトリック派のパメラは魔術的なものにも興味がなく、黄金の夜明け団でも位は一番したのままだったと言われています。
1909年、黄金の夜明け団のメンバーだったアーサー・エドワード・ウェイトから、タロットデッキの制作を依頼されます。
ウェイトは大アルカナに関してはエリファスレヴィのものを参考にさせる事が多く、また、細かくパメラに指示を出したと言われています。
しかし、ウェイトは小アルカナに関しては明確な指示は出しませんでした。パメラは16世紀のイタリアカード「ソラ・ブスカ・タロット」を参考に、小アルカナを制作しました。
パメラはこの大仕事を1909年4月から10月までの間にやりとげたと言われています。
その後、二人が制作したタロットはロンドンのライダーブランドから出版され、人気を博します。
ライダー社からウェイトに対して続編を出版する声がかかり、ウェイトもこれに乗り気でした。
しかし、ウェイトは作画をパメラではなく別の画家に依頼。その画風が商業的に見栄えのしないものだったことから、出版は行われませんでした。
黄金の夜明け団からの脱退
パメラのタロットカードには、全て彼女のサインが書かれています。
一説では、自分の功績をウェイトが独り占めするのではないかという不安からパメラが書いたと言われています。
ウェイトはパメラよりも21歳年上で、パメラに与えた報酬もごくわずかでした。
また、パメラは1911年に黄金の夜明け団を抜け、カトリックに改宗しています。元々黄金の夜明け団で熱心な活動をしなかったパメラに、ウェイトは常々不満をもっていたのかもしれません。
それでも、ウェイトはパメラの画風、高い画力と直感力、霊感力にひかれタロットを依頼したと言われています。
パメラスミスの晩年
1918年の第一次世界大戦終了後、パメラはコーンウォールに家を購入します。生涯独身だった彼女は、晩年は病で寝たきりの生活を過ごしました。
そして1951年9月18日、借金を抱えたまま亡くなります。
彼女が作った作品は借金を返済する為、債権者に競売にかけられました。
若い頃の作品のいくつかはパメラの従兄弟や友達が持っていると言われていますが、どれも正確な事はわかっていません。
パメラスミスの功績
販売されたウェイト版タロットはカードの意味を位置づけ、解説したウェイトの功績が評価される事が多く、長い間パメラについて触れられる事はありませんでした。
しかし、タロットカードの販売後、数多くのタロット占い師やUSゲーム社会の社長がパメラの功績を称えたことからパメラスミスの名前が広まり、今まで「ウェイト版タロット」と呼ばれる事が多かったタロットデッキは「ウェイト=スミス・タロット」と呼ばれるようになり、今でも世界中で多くの人に愛されています。