タロットカードというのは人生の縮図であると私は考えている。
かつて、古代の人たちは快楽、 苦難、選択、 死、それらについて世界中の人たちが必ず直面する共通の出来事を発見した。
それが、私がタロットカードは人生の縮図でだと考える理由である。
大アルカナというのは、22枚の絵柄と数字によってできている。
「タロット その歴史・意味・ 読解法」の著者 、アルフレッド・ダグラス氏は、心理学者ユングを始めとした先人たちの知識を借りながら、自分なりの解釈と共に一冊の本にまとめることに成功した。
その本の中で、大アルカナを運命の輪を中心にして、人生の前半と後半にわけて紹介している。
このページではそれらの図を参考に、私なりの解釈や考えを織り交ぜて書いたものを紹介していく。
著者も述べているが、タロットというのはとても複雑で、 全てを理解するのは困難だ。ここでの内容は、あくまで一つの解釈として読んで頂けると幸いである。
数字が、割り当てられていない唯一のカード、愚者。 カードは、人が生まれたばかりの、赤ちゃん、 魂を意味する。
愚者は純粋無垢で、好奇心が旺盛だ。 そして、汚れのない魂で、いろいろなものを吸収していく。 良いことと、悪いことの区別はつかない。 また、自分の行動についても責任を持たない。
奇術師は、自意識、自我の始まりである。自分という個体を認識し、他人との境界やつなかりを認識する。
女教皇、女帝、皇帝、教皇はそれらの自我を成長させる段階のカードである。
すなわち、知性や直感、霊感、感情、感覚、思考など、これからの人生において、必ず必要となってくるもの(あるいは、生きていく上での武器を表す)
6の恋人は、今までにいたサークル、学校、家族や身内などからの自立。 また、新しい人生の選択、行動を表す。
7の戦車。 これは、自身の判断や行動を軸にして、 社会に関わっていく姿を表す。また、自分自身の内面を隠し、新しい社会に適応するための仮面も意味する。
男性が操っている馬は白と黒で描かれるのが一般的であり、これらは善と悪、自身が思っている自我と外から見た自分を表す。
正義の女神は 、肉体の成熟、また、今までの思考や正義、良心などが、人生における一部分であった事を表すカードである。 新たな成長を遂げるには、 自分自身を変えていく必要がある。
隠者は、自分の内面を見つめ、内省し、新たな段階へと登るカードである。
恋人の選択は内から外への新しいスタートであった。隠者は新たな段階にのぼるには今までの思考や絆、社会的地位などを手放し、社会や仲間との葛藤と闘わなくてはならないことを表す。
これらとうまく向き合うことで、運命の輪がスムーズに回っていく。向き合わずにいる場合、人は人生における悪循環の一つのようなものにとらわれることになる。
力は、 華奢な女性が、ライオンをコントロールしている姿で表される。 女性が使ったのは肉体的な力でも社会的権利でもない。
共感や優しさ、思いやりなど、物理的なものではなく、心の内面に存在するものである。
また、ライオンは人の動物的本能も表す。これらを排除するのではなく、自分の中にあることを認めて、理性などでうまくコントロールすることが大切である。
吊るされた男は、新しい段階に上るために全てを手放す行動や勇気を表している。 これらは 仏教の「全てを捨てて、悟りを求める心まで捨てなさい」という教えに似ている。 だが、このカードは一種の信仰心をも表してると言える。 彼は神が自分を見捨てないことを知っている。
死神は不吉の象徴として映画や本に登場してくるカードである。
しかし、死というのは終わりだけではなく、新たな始まりをも表す。成長を遂げるために必要な終焉、別れ、過去のからの脱却。また、別の面では、大切な人との死をも表す。
これらは相談者が乗り越えなくてはならないことの1つである。
節制は、肉体と心の調和、意識と無意識、それらのバランスを取ることの必要性や安定等を表す。
相談者にとっていい変化、あるいは変化が起きる時に必ず出てくるのが「魔」というものである。
これは国や宗教によって異なり、悪魔や鬼など、様々なもので表される。これらは外から与えられるものだけではなく、自分の内面から出てくるものも含まれる。
悪魔と塔は、相談者にとって新しい段階、新しい進歩を得られる時に出てくることが多い。 すなわち、相談者がより良い方向に行くのを邪魔するもの、あるいは、相談者自身のおごり。越えなくてはいけない試練。
自分の悪いところを見つめ、正すことの必要性を表す。 これらのカードは死神と同様、一見するとネガティブなイメージを受けるが、必ずしもそうというわけではない。
月と太陽は、人が必ず陥る困難な状況が光へと続いている事を表す。
相談者がいくつもの困難を乗り越え、自身を成長させ、たどり着く先が審判。そして、世界である。