
太陽が降り注ぐ自然の中に、一人の男性がいる。長くなる旅であるにも関わらず、彼の荷物は木の棒と棒にくくりつけられた袋だけだ。
神の世界から降り立ったばかりの愚者は神が自分を愛し、守ってくれている事を知っている。ゆえに、足元の崖も、気の遠くなるほどの旅にも恐怖を感じない。
愚者は神の世界から俗世に触れる最初、そして最後の段階だ。愚者は視覚、聴覚などの身体的感覚だけではなく直感、霊感、精神力を駆使して世界を旅する。
全ての人間が等しく持っている(あるいは持っていた)能力を、彼はオカルトまがいと馬鹿にされながらも使い続ける。その能力は俗世では奇跡と絶賛され、彼の地位を確固たるものとする。
愚者は人間が長い歴史の中で作り上げてきた規律に触れ、その中に身をおく。この場合、愚者は宮廷で主人に仕える道化師として描かれる。
道化師はエンターテイナーとして能力を発揮し、特別な存在として主人のそばに身をおいた。愚者は時代が変化し、宮廷が崩壊するごとに、各地を転々とするサーカス団のように跡形もなく去っていった。過去の名声も富も彼には流れすぎた雲と同じなのである。
仏教の一派、禅に放下著(ほうげじゃく)という教えがある。「煩悩、妄想、仏や悟りを追い求める心までを捨て去りなさい。」この教えは名声や富、全てを捨てろという意味ではない。全ての執着を捨てることで自分を開放しなさいという事である。
こうした思想や行動は時代が進化するにつれ薄れてきたが、僧侶、霊媒師、感情をコントロールして勝利を収める一流のアスリートにしばしみられる。
フランスの哲学者レヴィ=ブリュルは、未開人と現代人の思考の違いを説明するために「別個のものを区別せずに同一化して結合する心性の原理」として、融即律を説いた。こうした同一化する思想は愚者にもあてはまる。
愚者は植物、虫、動物全てのものが神から等しく生を受け、どこに還るかを知っている。彼は鏡をみるように相手に接し、けなされることはあってもけなすことはしない。
愚者の負の側面は快楽を追求するジョーカーとして描かれる。彼は自身を通してでしか世界を見れない。世の中の規律を無視し、自身が起こした混沌、混乱には目も向けないのである。
大アルカナ愚者の正位置の意味
相談者にとっての新たなサイクルの始まり。挑戦。問題を適切に処理する事で得られる良い影響。真実。重大な選択。目先の利益を優先してはならないという警告。
大アルカナ愚者の逆位置の意味
酩酊。陶酔。理性を欠いた非常識な行動や言動。また、それによる悪影響や問題を表す。