仏教用語に怨憎会苦(おんぞうえく)という言葉がある。
これは自分が憎んだりしている人、苦手な人、嫌いな人とも会わなけらばいけない苦しみの一つのこと。
つまり、人生の中で苦手な人は必ず出てくるという事である。
全ての宗教の根には「人はお互いに愛し、助け合うべき」というものがあるにも関わらず、この苦しみができてしまう。それはなぜか。
苦手な人ができる原因
苦手な人ができる原因は複数あるので一概には言えないが、ここでは3つ紹介する。
・直感的な判断
・過去に自分が苦手だった人と特徴が似ている
・思っていた人物と違った
直感的な判断
美味しそうなケーキを見ると人は「あ、美味しそうだな」と脳が判断する。
これと同じく、脳は初対面の人のことも直感的に判断してしまう。
「いい人そうだな」「柔らかい雰囲気の人だな」「自分は苦手なタイプだな」
脳が「苦手」と判断した後は、その人の欠点が目についてしまう事が多い。
そして「ああゆう事をするんだ。やっぱり苦手だな」と、更に苦手意識を持ってしまう。
過去に自分が苦手だった人と特徴が似ている
「昔、こうゆう人に酷い事をされたからこの手のタイプは苦手」「こういう言い方をする人には良い人がいない」と、自身の経験に基づいて脳が判断する。
思っていた人物と違った
「初めて会ったときは良い人だと思ったけど、今はあんまり…」と、最初のイメージ(自分が想像していたもの)とは違っていたパターン。
これらの3つに共通して言えるのは「苦手」かどうかを判断しているのはあくまで自分自身であるということ。
つまりは、自身の視点・考え・態度・その人との距離感を変えれば環境は改善される可能性もあるということである。
苦手な人と付き合っていくには
まずは「なぜ、自分はあの人を苦手なのか」と、自己分析するのがおすすめ。
客観的に自分を見る事で「自分にも欠点がある」と認識でき、その人の別の面にも目を向けやすくなる。
しかし、中には「自分を攻撃してくるから苦手」という人もいると思う。その場合は、心の距離をおくことが大切。
悪口ばかりを言う人には「心がかわいそうな人だ」と、そう思うだけでいい。
スマホができて、人間関係もより複雑なものになってきた。人間関係に疲れている人も
増えてきてるように思う。
時々、自分の心と対面して、いたわってあげてほしい。
そうすれば心に少しスキマができて、自分を見つめる余裕が生まれると思う。